斎藤一人さんから学んだこと

祖母との別れを体験することは魂が決めたシナリオだった【斎藤一人】

こんばんは、ツイてる坊主です^^

今日は斎藤一人さんの教えをもとに、『現世で起きることは、生まれる前に自分の魂が決めた必然的なシナリオである』というお話をしたいと思います。

先日、僕自身、祖母との別れがあったんですけれども、その中でいろんな気づきがあったんですよね。

僕は普段、ものすごく静かで、慎重で、一つ一つこうして冷静に自分と向き合って、祖母とも向き合って、「後悔しないように」っていうことだったり、「死んでも魂は生き続ける」といったことを学んできました。

それで、ひとりさんの教えを含め、スピリチュアル全般の知識とかも取り入れながら、死別をしても悔いが残らないように『万全の体制』というか、何があっても自分は大丈夫!っていう状態を作っていたつもりでした。

でも、やっぱり、いざ別れを迎えた時にショックを受けますよね・・・。そりゃショックを受けるし、後悔のないようにと思って向き合ってきたはずなのに、いろんな後悔が出てきます。

「何もできなかった」って、自分自身がものすごい情けない気持ちになったり、「申し訳ない」という感情が出てきたり、もちろんそれは、過去に自分が持っていた周波数が表面に出てきたということで、手放すために出てきたものですから、それ自体が悪いわけでははないんですけど。

ネガティブな感情っていうのは、ただただ罰ゲームみたいに苦しむために出てくるものではなくて、「こういった周波数を今まで使ってきたんですよ、あなたの中にまだ持ってるんですよ」っていうのを自分で気づいて、それを手放すために(要は受け入れるために)出てきている感情ですから、決して悪いものではありません。

ただ、そういったことも含めて、この宇宙の全体像(宇宙の仕組み)を把握していても、いざとなったら感情が揺れるんだなということを体感しました。

やっぱり今回の一番の気づきとしては、知識よりも素直な感覚、自分自身の中にある『素直な感覚』に沿って行動した方がいいということですね。

そうしないと、知識とか過去の経験から物事を判断すると、後悔するというか、あまりいい未来にはなっていかないのかなっていうのは感じたので、やっぱり頭で考えて、「こうしといた方がいいかな」「こうしなきゃダメだよな」っていう判断は、あまりよろしくないのかなと。

それよりも、自分自身はどうしたいのか。正直、今どう思っているのか、本音では何を感じているのか。

そこを第一優先として、短期的に自分や周囲がバタバタすることになったとしても、長期的に見て自分の感覚を信じて、感覚に沿った判断をしていった方が、『幸せな道』につがっているっていうのは、すごく勉強になったなというところがあります。

僕自身、今までスピリチュアルをいろいろ学んできたとはいえ、不思議な体験っていうのは本当に全くなかったんですが、今回、祖母の訃報を耳にする前の一週間か二週間くらい前から、よく水をこぼしていたんですよ。

とにかく飲み物をこぼすことが5回か6回かそのぐらいあって、普段、急ぐような場面ってないですし、焦ることもなく、穏やかにマイペースで過ごしていたので、「あれ、ちょっとおかしいな・・・」とは感じていましたが、今思うとやっぱり目には見えないメッセージというか、サインが来ていたのかなと思います。

でも、分からないですよね。宇宙からのサインって、地球に住んでい人間が分かるような形でメッセージが来るとは限らないので。

高次元の存在が日本を知っていて、日本語で日本人が分かるように教えてくれるかっていうと、そういうわけにはいきませんからね。

例えば、わかりやすい例で言うと、朝出かけようとした時に靴の紐が切れるとかで、それが何かを暗示しているって言われても、それが何か分からないじゃないですか。

事故なのか、それとも人間関係のトラブルなのか、自分自身の健康面なのか。何かを暗示しているんだろうけれども、それが具体的に何かっていうのはわからないわけです。

だから今回も、もちろん祖母のことは気にかけてはいたんですよ。昔からずーっと、夢に出てくるのはほとんど祖母でしたし、本当に子供の頃からお世話になった人ですから。

両親よりも祖母に可愛がってもらったところがあったので、気にかけてはいたんですけれども、最近よく水こぼすなっていうところで、「じゃあ実家へ帰ろう」とはならなかったんですよね。

まぁでも、そこは別に後悔しているところのほんの一部でしかないんですけれども、他にもいろいろ、「こうしておけばよかったな」っていうのは、正直たくさんあります。

ただ、それをずっと引きずるっていうのはよくないことで、それは当然ですよね。

亡くなった方は亡くなった方で、行くべき場所があるわけで、それを生きている人がいつまでもくよくよしていると、引っ張ってしまうわけですよ。

行かなきゃいけないところに、行けなくなってしまう。なので、この周波数は時間がかかってでも必ず手放します。祖母のためにも。

だけどね、今はそういった知識を頭で理解していても、やっぱりいざこういった場面を迎えると、難しいんですよね。どれだけ祖母に執着していたかというのが、死別をしてから改めて痛感している状態です。

いかに普段、自分が語っている知識というものが、浅はかというか、浅いっていうのを感じですね。

やっぱり何事も、感覚的な部分での体験が大事で、体験は体験でも違うんですよ。頭で考えて、これをやった方がいいかな、やっておこうか、やるべきなのかな!っていうのと、『本当に自分がやりたいと思って判断して行動した体験』っていうのは、同じ体験でも全く違うものです。

今、本当に強く感情が揺れ動いているんですけれども、僕はこの時のために、斎藤一人さんやスピリチュアル全般の教えに惹かれて、今までたくさん学んできたんじゃないかと感じています。

もし、全く魂のこととか、宇宙の仕組みとかを学んでいない状態で、祖母との別れを迎えていたら、もしかしたら耐えられなかったかもしれません。

これだけ知識があっても、これだけ感情が揺れ動いて、「祖母を追いかけたい」というか、「僕も天国に行きたい」と思うぐらいですから、もし全く学んでいない状態で、魂のことを理解していなかったとしたら、耐えられなかっただろうなと。

そう考えると、必然的なタイミングですよね。死別のタイミングっていうのは、もちろん祖母にとっても必然だっただろうし、僕にとっても必然だったっていうのは、間違いなく言えるんじゃないかなと思います。

今の自分だから耐えられた。5年前、10年前だったら、無理だったかもしれない。ちょっと想像しただけでも生き地獄です。

最後に、祖母は亡くなるまでの3年ほど認知症だったんですけれども、認知症に対して僕が感じたのは、周りの人が「自分を思い出して欲しい」っていうのは、その人の勝手なエゴであるということです。

僕が認知症の祖母と面会した時に、思い出せなくて苦しそうにしている祖母を見て、「思い出さなくていいよ」って何度も伝えたんですね。だって、向こうからすれば分からないわけじゃないですか。知らない人が来てるわけですよ。

でも、老人ホームの職員さんは、良かれと思って「お孫さんが来ましたよ」とか、「息子さんが来ましたよ」とか繰り返し言うわけです。

だけど、認知症になっても僕は祖母の性格はわかっているので、顔を歪めてうつむいている祖母の表情を見て、「今ものすごく苦しいんだろうな」っていうのがわかったんですよね。

もちろん、職員さんの優しさもあるとは思うんですが、僕は自分のことを思い出してほしくて面会に行ったわけではないですし、本当にたわいもない話だけでもできれば、それだけでよかったんです。

あと、祖母はずっと苦労の多い人生を送ってきた人だったので、過去の苦しみを引きずりながら、一生懸命前を向いて生きていたように思います。

だからこそ、認知症になったことによって、『今この瞬間だけに幸せを感じる』という、そこに集中できる環境っていうのは、ある意味、幸せなことだったのかもしれないなと、今はそう感じています。

認知症になってからの方が、穏やかな表情でしたし、楽しく毎日を過ごせていたんじゃないかなって・・・。

今回のお話は、誰か一人にでも参考にしてもらえたらうれしいなと思います。

この人生で人間が体験することは、一つ残らず全てが必然であり、無駄なことは一つもありません。

僕自身、祖母との死別も「マイナスだけの出来事」にはしたくないんですよね。どうにかしてプラスに持っていきたいなと。

ただただマイナスだけの体験っていうものは、一つもないと思うんですよ。そもそも、スピリチュアル(魂)の視点では、人間の死は、あの世でいうところの誕生日ですから。

魂だけの状態が本来の姿であり、肉体を持った状態というのは「仮の姿」なんですよね。

祖母が生きている間にしか学べなかったことがあり、死別した後にしか学べないこともあるんだと思います。

「後悔」という感情も含めて、この世で生まれる前に決めてきた体験だと思うので、必ず祖母との出会いと別れをプラスに変えて、余生を幸せに生きていけたらと感じています。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。感謝してます^^

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