斎藤一人さんの教え

予知能力の真実☆子どもの頃に光の玉から教わったこと【斎藤一人】

子どもの頃に「光の玉」が教えてくれたスピリチュアル(魂)の真実

斎藤一人さんが幼少期に体験したという「光の玉」が出現する現象は、常識の枠を超えたとても不思議なお話です。

この光の玉は、夜になると現れ、分からないことを尋ねると、その答えを教えてくれたそうです。

例えば、人はなぜ生まれたのか、どのように生きたらいいのか、そして、人は死んだらどうなるのかなど。

それで、ある日、その光の玉に名前を聞いたところ、その光の玉は、天之御中主神(アメノミナカヌシ)と答えました。

ちなみに一人さんは、最初、光の玉が出てくることは、「誰にでも起こる当たり前のこと」だと思っていたとのこと。

しかしある日、周囲に同じ体験を持つ人がいないと知ったとき、大きな衝撃を受けました。

以降、この話を他人にするのは控えるようになったと言います。

なぜなら、一人さんにとっては真実でも、他人には受け入れがたいものであることに気づいたからです。

こうした不思議体験は、宗教や詐欺、怪しいという見方をされがちなので、この体験を語ること自体が、一人さんにとっては大きな勇気を要するものでした。

商人として現実世界を生きる以上、神秘的な話が誤解を生むことを自覚していたのです。

それでも、講演会などで神様・魂・光の玉など、全てを伝えることにした理由は、「知っているのに教えないのは愛じゃないよね」と感じたからに他なりません。

今では多くの人がyoutubeなどで霊視やチャネリングを行っていますが、斎藤一人さんも実は、昔からそういった霊能力が兼ね備わっていたのです。

斎藤一人さんの霊能力は"弟子の「みっちゃん」"が証人です

斎藤一人さんのお弟子さんに「みっちゃん先生」という方がいて、この方が講演会で一人さんとのあるエピソード(不思議体験)を教えてくれました。

ご存じの方も多いと思いますが、ひとりさんと弟子のみっちゃんの間で起きた“お墓の話”というのがあるんですね。

以前、みっちゃんの父が原因不明の心臓発作で倒れたとき、一人さんはみっちゃんに、「お墓の中の骨瓶に木の根が絡んで締め付けている」と伝えました。

これは、まるで物理的な因果と精神的・霊的なつながりを見抜いていたかのような言葉です。

みっちゃんがその話を聞いた後、すぐに墓を掘り起こすと、言われた通りの状況になっていたといいます。

それで、根を取り除くと、父の発作はぴたりと治まりました。

この一連の流れは、どう考えても斎藤一人さんに霊視?透視?の能力があるしか思えませんよね。

みっちゃんは一人さんに、「なんでわかったの?」と聞きましたが、一人さんは「そんなことはどうでもいい」「よかったね」と返したそうです。

初めて斎藤一人さんを知った方は、銀座まるかんという会社を経営している商人なのに、なぜ不思議な話をするんですか?と言いますが、一人さんからすると、知っていることの出し惜しみはしたくないという気持ちが強いようです。

ちなみに、もうyoutubeには残っていないかもしれませんが、みっちゃん先生以外にも、複数のお弟子さんがこういった一人さんを通じた不思議体験を告白しています。

例えば、霊視や透視だけでなく、予知能力を発揮することもあるようで、「今はこのビルは買わない方がいい」といったアドバイスを受けたお弟子さんが、購入を回避したことで大きなトラブルを回避できたというエピソードも聞いたことがあります。

幽霊まで視える時点で商人でもあり"霊能力者"でもある

みっちゃん先生が体験した、斎藤一人さんとの不思議な出来事をもう一つご紹介しますね。

青森・恐山での出来事は、お弟子さんたちの常識では説明のつかない不思議な出来事でした。

その日、ひとりさんと弟子たちは、恐山の宇曽利湖のそばにある休憩所でひと休みしていたといいます。

湖のほとりには、お揃いの服を着たカップルが仲良く歩いていました。白いズボンに黄色いトレーナー――とてもお似合いの二人でした。

ところが、その穏やかな光景の中で、ひとりさんが静かにひと言告げます。

あの男の人、幽霊だよ」。その言葉を聞いたみっちゃん先生は、半信半疑だったそうです。

なぜなら、目の前にいる男性は、普通に歩いていて、足もちゃんと見えていたからです。幽霊といえば、ぼんやりしていて足がないというイメージが強いですよね。

しかし次の瞬間、信じがたいことが起こりました。二人のうちの男性が、まるで映像の一部がスッと消えるように、目の前から姿を消したのです。

まさしく、一人さんが言った通り、その男性は「この世の存在」ではなかったのです。

このお話を通じて私が学んだことは、大きく分けて2つあります。

まず1つは、一人さんがこれまで音声に残してきたように、人は肉体がなくなっても、魂は永遠に生き続けるということです。

未練があれば、しばらくは浮遊霊としてこの世に残り続けることもあるわけですが、いずれは成仏し、また生まれ変わることになります。

次に2つ目は、多くの人が亡くなった人や霊の存在を怖がるけれど、決して怖がる必要はないということ。

いずれ誰もが寿命を迎えて、魂のみの状態になるわけですから、大事なことはこの世で物や形に執着せず「心の在り方」「思い」などの無形を大切に生きていくことだと感じます。

日本の神様は裁かない|八百万の神が教えてくれる“おおらかさ”

斎藤一人さんは、幼い頃から体がとても弱く、寝たきりのような状態で過ごすことも多かったそうです。

そんな一人さんが、大人になってから再び命の危機に直面したとき、不思議な出来事が起こりました。

これまでにも何度も病気を経験してきた一人さんが、この時ばかりは「今度こそ本当に死ぬかもしれない」と思うほど、体調が悪化してしまったのです。

ところが、そんなときに一人さんの前に“天照大神(あまてらすおおみかみ)”が現れたといいます。そして、「伊勢神宮にいらっしゃい」と、静かに語りかけてきたのです。

もちろん、一人さんもすぐに信じたわけではありません。「本当にそんなことがあるのか?」と、半信半疑だったといいます。

しかし、不思議と「行かなければならない」という気持ちに突き動かされ、人の助けを借りながら、なんとか伊勢神宮へ向かったのです。

そのとき、一人さんは階段を上るのもやっとの状態でした。両脇を抱えられながら、本殿へと向かう途中、突然、心の中に「ある言葉」が降りてきたといいます。

その言葉の内容は、一人さん自身の中にしまわれたままですが、彼にとってはまさに天からのメッセージだったのです。

そして、その瞬間から、信じられないほど体が楽になっていきました。「〇月までに回復する」と告げられた通り、体の痛みや不調は、薄紙を一枚ずつはがすように少しずつ和らぎ、やがて元気を取り戻したのです。

この体験を通して、一人さんは強く感じたそうです。「助けてもらったのだから、これからの人生は、日本の神様の素晴らしさを伝えていこう」と。

日本には「八百万(やおよろず)の神様」がいると言われています。これは、自然界のあらゆるもの――山、川、風、木、石、さらには道具や言葉にさえも、神様が宿っているという、独自の信仰です。

自分と違う考えや価値観を、すぐに否定せず、「まあ、そういうのもいいんじゃない?」と受け入れる。そういう柔軟さと優しさが、八百万の神の姿勢なのです。

日本の神様は裁きません。「みんな違って、みんないい」という寛容な気持ちで、ただ静かに、私たちを見守ってくれています。

まとめ☆不思議を怖がらず「楽しいもの」として受け入れる

斎藤一人さんが伝えているのは、「不思議なこと=楽しいこと」という新しい視点です。

科学や常識だけでは割り切れない出来事に対して、「怖い」「信じられない」と否定するのではなく、「おもしろい」と思えるかどうか。

それが、人生を豊かにする分かれ道なのかもしれません。

人は誰しも、自分の常識にないものに出会うと、心を閉ざしたくなります。

しかし、一人さんの教えは、そうした「心の扉を開けてごらん」と優しく促してくれます。

光の玉の話も、幽霊の話も、伊勢神宮での奇跡も、信じるかどうかはあなた次第です。自由で構いません。

ですが、もし心のどこかに「もしかしたら」と感じる何かがあれば、その直感を大事にしてみてください。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝してます^^

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