斎藤一人さんが唯一「関わりたくない人」がいるって本当?
斎藤一人さんほど、誰に対しても愛を持って接する人はいないと感じます。これは、誰に聞いても同じ答えなので、私個人としても確信を持っています。
初対面の人にも親切で、子供から年配の方まで幅広く愛されるその人柄は、まさに人格の鏡のようです。おそらく、皆さんが想像している愛のある人のイメージの1000倍くらいは魅力的な方です。
また、9人のお弟子さん全員が、ひとりさんが不機嫌でいる姿を一度たりとも見たことがない!というのは、とても有名な話ですよね。これも間違いなく事実なのでしょう。
そんな中、まさかひとりさんに「関わりたくない人」がいるとは、正直驚きました。しかも、その対象というのが大切なお弟子さんも含まれているというのです。
それが「威張る人」なんだそうです。威張る人。え?弟子の中に威張ってる人っているの?と一瞬考えてみましたが、思い当たるのは過去の講演会でひとりさんが「純ちゃん、威張っちゃいけないよ♪」と優しく言っていた記憶があります。
ということは、弟子の一人である千葉純一さんが、もしかしたら飲みの場でちょいとだけ偉そうにしていたのかもしれません・・・。でも、この方は本当に良い人なので、若い頃に少しお調子に乗られていたのだと思います(笑)
ちなみに、弟子の宮本真由美さんも、ひとりさんから冗談交じりとはいえ、「威張ったら破門だよ」と言われたことがあるんだとか。
つまり、弟子の間で、この話は本当に肝に銘じられていることのようです。その理由としては、いくら成功しても、威張ることによってその人の人間的魅力は一気に失われてしまうからなんですね。
ひとりさんが伝えたいのは、「成功者こそ謙虚さを忘れてはならない」ということ。威張るという行いには、自分は他人より優れているという錯覚が含まれています。
そのため、その態度が人の心を遠ざけてしまうわけです。成功しても人の上に立とうとせず、仲間として同じ目線にいることが、人間としての真の器なのでしょう。
ひとりさんは、まるで心の中に「優しさの秤」を持っているかのように、人の態度をとても敏感に感じ取る方です。だからこそ、威張る人にはすぐに見抜いて距離を置くのかもしれません。
過去の教えに「威張っちゃいけない、なめられちゃいけない。この言霊を毎日100回唱えるんだよ♪」という教えがあるように、成功して威張ることと、人から甘く見られることの2つには、十分注意が必要だと感じます。
斎藤一人さんと同じ時代に生まれたことは「奇跡」である♪
今回改めて、斎藤一人さんが関わりたくない人、そして、ひとりさん自身が「こうはなりたくない」と感じている人物像がわかってきました。それは、威張っちゃいけない、なめられちゃいけない。
以前、お弟子さんがひとりさんのことを褒めたたえて、ふと「ひとりさんはキリストか弘法大師の生まれ変わりなんじゃないの?」と言われたことがあったそうです。
その時にひとりさんは、もちろん褒めてくれてありがとうという気持ちを持ちながらも、「もう私のことをそういった方の生まれ変わりだっていうのはやめてな♪」と笑って返したんだとか。
その理由は、威張るような人にはなりたくないというのと、あまりそういった話が広まると、宗教と勘違いされる可能性があるからなんだそうです。
まぁ、確かにそうですよね。ただ、それでもお弟子さんや、私のようなファン目線からすると、どうしてもひとりさんは今の時代に必要な特別な存在のように思えてしまいます。
キリストや弘法大師に直接会うことはできませんが、ひとりさんと、こうして同じ時代を生きることができているのは、本当に奇跡としか言いようがありません。
もし私がひとりさんの本や音声と出会うことができていなかったらと思うと、ゾッとするくらい過去の人生は辛いものでした。今でも、SNSやブログで情報発信しながら、日々ひとりさんの教えに助けられています。
ファンの中には、「斎藤一人さんって本当に実在するんですか?」と驚く人もいるようですが、それも無理はありません。
世の中には、これほどまでに愛情深く、みんなの幸せを願う人が少ないからです。ですが、ひとりさんと出会った人は、例外なく彼のことを好きになるはずです。
有名人に実際に会ってがっかりするという話を聞くこともありますが、ひとりさんに関してはその逆で、会った人ほど惹かれていくのです。
その理由は、お話が上手というだけでなく、その生き方や態度が「本物」だからです。私たちはただ教えを聞いているのではなく、人としての「在り方」を学んでいるのです
斎藤一人さんは過去に、「私は私」という書籍を出版されていますが、ひとりさんはいつも「人は人、自分は自分」と教えてくれます。そして「一人さんにはなれないけれど、自分にしかできない役割がある」ともおっしゃっているんですね。
その意味は、人と同じことを目指す必要はなく、自分の個性を活かして世の中に貢献することで、誰もが“必要な人”になれるということ。
それぞれが違う個性を持っているからこそ、社会は成り立っています。誰かと比べるのではなく、自分の中の「魅力」や「強み」に目を向ける。その姿勢が、自分自身を幸せに導き、周りの人の役にも立てる生き方です。
一人さんの周囲には、実に個性豊かな9人のお弟子さんが集まっています。それぞれが違う道を歩んでいても、「優しさ」や「思いやり」といった一人さんの教えを芯に持っていることに変わりはありません。
斎藤一人さんの「経済を通じて神様の役に立つ」という謙虚な視点
斎藤一人さんは、宗教と誤解されることも多いですが、本人はいつも「自分で稼ぎ、自分で納税する」ことを続けてきました。それが一番、神様の役に立つ方法なんだと。
世の中には「お布施」を集める宗教もありますが、ひとりさんはそうではありません。もちろん「宗教が悪い」というわけではなく、自分は「商人として経済に貢献する」という道を選んだということ。
それは、「誰かに依存するのではなく、自分で立つ」という強さの表れです。しかもその目的は、自分のためだけでなく、「日本という国のため」「困っている人のため」なのです。
働いて稼ぐこと。稼いで納税すること。それが最も現実的で、社会に貢献できる方法なのだと教えてくれています。
お金はただの道具ですが、その使い方によって「命を支える力」にも「人を助ける力」にもなります。だからこそ、ひとりさんは弟子に対して「稼ぎな」「いっぱい税金を払うんだよ」と優しく、けれど真剣に語っているのです。
経済的に自立しながら、精神的にも満たされる。そんな生き方がひとりさんの示してくれた「成功者としての在り方」なのかもしれません。
ちなみに、一人さんがすすめてくれた映画『麗しのサブリナ(うるわしのサブリナ)』には、事業の本質が描かれています。
大富豪の兄ライナスが、弟に「金が欲しくて事業をやっているわけではない」と言い放つ場面は、多くの人の心に残りました。
「新しい産業が生まれることで、人々の暮らしが豊かになる。工場が建ち、子供たちに靴が与えられ、図書館や映画館が生まれる」
この台詞は、まさにひとりさんの考えと一致しています^^
斎藤一人さんは、事業を通じてお金を稼ぎますが、それは「神様の役に立つため」です。税金をしっかりと納め、日本のためになる。それがひとりさんにとっての「仕事の意義」です。
成功する人の中には、「金が目的」「名声が目的」という人もいますが、それは長続きしません。ひとりさんのように「誰かの役に立ちたい」「社会のためになりたい」という志を持った人こそ、真に応援されるのです。
この記事を通して、私たちは斎藤一人さんの思想にいくつもの重要なヒントを見つけることができます。
まず、どれだけ成功しても「威張らない」こと。それが人として最も大切な品格であるということ。
次に、他人と比べず「自分の個性」で必要な存在になること。そして、仕事の目的は「金」や「権力」ではなく、「社会への貢献」であるという姿勢。
さらに、経済活動を通じて「神様の役に立つ」という感覚は、現代社会に生きる私たちにとって非常にリアルで、日常に根ざした教えです。
一人さんの教えは、宗教ではなく生き方の指針であり、「誰もができる」優しさと強さの実践でもあります。
たった1人の在り方が、これほどまでに多くの人の心に光を灯すのだと感じました。そしてそれは、威張ることなく、いつも謙虚に、相手を思いやる気持ちから生まれているのです。
斎藤一人さんの存在は、現代に生きる私たちにとって、太陽のようにさんさんと輝く「希望の光」といえるでしょう。
ということで、本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝してます^^