斎藤一人さんの教え

ハッピーなお知らせ|幸せのサインは波瀾万丈の中にある【斎藤一人】

斎藤一人さんの「この世に平凡はない」という言葉の真意とは

斎藤一人さんのお姉さんは、ひとりさんから見て、性格も良く勉強もできる方だったそうです。

同じ血が流れているならば、本来は自分より姉のほうが幸せになって当然だと一人さんは語っていました。

しかし、お姉さんには、なぜか不幸が重なり、いつも苦労が絶えない人生を歩んでいたんですね。

彼女が望んでいたのは、あくまでも「ささやかでもいいから平凡な生活を送ること」でしたが、実は、その「平凡」を望む姿勢が、逆に波乱を引き寄せていたのです。

斎藤一人さんによると、この世の中に平凡はないんだそうです。この言葉だけを聞くと、え?平凡はない?と驚かれるかもしれません。

でも、実際のところ、昔のおばあちゃん世代は、お見合いで相手の顔を見ず結婚したり、1年で旦那が戦争へ行ってしまったり、子供が病気をして雪の中を駆けずり回る羽目になったり、どんな人にも波瀾はつきものでした。

それを「平凡でいることが幸せなんだ」と思い込むと、何か起きるたびに不幸を感じなくてはならなくなります。

だから、最初から「波瀾万丈どんとこい!」と覚悟を決めた上で、何でも明るく楽しく生きた方が、軽い心で過ごせるということ^^

「もし平凡でいいなら、生まれてくる必要はない」――ひとりさんのこの言葉は少し衝撃でしたが、人は生まれるからにはそれぞれの魂が学ぶべきことや使命があるのです。

もちろん、平凡を望んだ人がみんな不幸になるわけではないと思いますが、一つの考え方として参考にしてみてください。

斎藤一人さんの「波瀾万丈どんとこい!」は根性論ではなかった

斎藤一人さんは16歳で社会に出て、そこからずっと「上りっぱなし」だと語っています。

その人生観の根底には、「波瀾万丈を怖がらない」姿勢があるんですね。それどころか、むしろ「波瀾万丈、大好き」「波瀾万丈どんとこい!」と大らかに構えているんだそうです^^

そんな中で、人生に多少の嵐が訪れたとしても、クルックルッとひっくり返す力が湧いてくるのだといいます。

人は不思議なもので、「怖い」と思うと、その恐れが現実をより困難に見せてしまうもの。例えば、病気で倒れたときに「もう終わりだ」と思うと、心の中で苦しさが何倍にも膨れ上がるんだとか。

でも、「ここで死んじゃったら平凡でしょ?」と笑い飛ばしてしまえば、不思議と回復へ向かうエネルギーが生まれたり、周囲も手助けをしやすくなったりするんです^^

実際に斎藤一人さんは大病を患っても、生き生きとその状況すら「面白がる」ように過ごし、結果として何度も危機を乗り越えてきたのです。

もちろん、波瀾万丈を歓迎する姿勢は、なにも自ら嵐を呼び寄せるという意味ではありませんよ。

どんな風が吹いても、自分は必ず笑いながら乗り切れる」と決めておくことで、人生の流れが好転していくわけです。

そうすると、同じトラブルが訪れても、それを成長のきっかけにできたり、思わぬチャンスを見出すこともできるでしょう。

斎藤一人さんが示す「魂の修行」の視点って何ですか?

斎藤一人さんいわく、人間はこの世(地球)に「魂の修行」をしに来ているとおっしゃっています。

この人生に起こる問題は、すべて勉強や成長のためのチャンスであって、どんな苦労も恐れる必要はありません。

もし人が修行を避けようとすると、神様が別の形で同じ課題を突きつけてくるんだそうです。

だから、避けているつもりでも、いつかどこかで学ばなければならないことが積み残されて、結局はより大きな困難としてやってきたりするんだとか。

一つの事例としては、子供のことを心配し続ける親の例がわかりやすいかもしれません。

これもダメ、あれもダメ、これも心配、あれも心配と、過保護に構ってしまうと、子供が自分の魂の修行をする機会を親が奪ってしまうことになります。

なので、魂の修行(成長)という視点で捉えるなら、「私はあなたを信じているよ。自分にも人生があるように、あなたにもあなたの人生があるからね」と声をかけてあげること。

その方が、子どもは自分の力で問題を乗り越えるチャンスを得られ、結局は、親も心が楽になるのです。

このように「魂の修行(成長)」という見方をすると、人と比べて自分は何が足りないのか、どう劣っているのかと悩むことも減るかもしれません。

なぜなら、誰もが自分の課題を乗り越えるために生きているのであって、そこに上下や優劣はないからです。

一人さんのお姉さんは、弟から平凡を超えた楽しみ方を教わった

先ほどお話しした斎藤一人さんのお姉さんは、幼い頃から母親の代わりに家事や兄弟の世話、家業の手伝いに追われてきたんだそうです。

習い事や友人と出かけるような青春を過ごす余裕はほとんどなく、家の中はいつも従業員の若い男性が多く暮らしていて、落ち着かず自分の居場所を感じにくい環境でした。

そんな背景があったからこそ、「ささやかな生活こそが幸せ」という思いが人一倍強かったのかもしれません。

彼女は20歳で結婚したのですが、夫が病気やけがでなんと26回もの入院を繰り返し、さらには父母の介護、そして夫の介護と、想像を絶するほどの苦労が重なりました。

平凡を望んでも望んでも、現実には波瀾万丈の出来事ばかりが襲ってくる。身体も心も疲れ果て、夫を看取ったあと、今度は自分が股関節を痛めて思うように歩けなくなる。

まるで、試練が終わる気配などないかのようでした。そんなときに手を差し伸べたのが、弟である斎藤一人さんです!

「姉さん、ドライブに行かないかい?」「旅行に行かないかい?」と誘ってくれても、当初は「私は歩けないからいい」と断りがちだった姉。しかし、一人さんは「どこへ行くにも車で行くから大丈夫だよ」と心をほぐし、外に連れ出したんだそうです。

車中で、「この先、どんなことをやりたい?」と問いかけられた姉は、「将来なんて無だよ」と答えるしかないほど気力を失っていました。それを聞いた一人さんが、がっかりしたように悲しそうな顔をしたことが、姉の心を少し揺さぶったようです。

そこから一人さんは、本格的に「精神的に幸せになる方法」をお姉さんに教え始めます。今まで、そんな教えや学問に無縁だった姉にもわかりやすいよう、さまざまな例え話を交えて、粘り強く教え続けたのです。

世間にはいろいろな成功哲学やポジティブ思考の本がありますが、身内の思いやりと真摯な姿勢は、それ以上の説得力をもって姉の心に響いたのでしょう。

平凡を望みながら波乱に巻き込まれ続けた彼女は、そうした斎藤一人さんとの対話を通じて、「平凡を超えた楽しみ方」を少しずつ学んでいったのです。

斎藤一人さんから学んだ☆波瀾万丈こそが幸せのサイン♪

斎藤一人さんの話を全体的に振り返ると、誰にでも波乱があるこの世の中で、「それを恐れない」「むしろ歓迎する」という心構えこそが、幸せを呼び寄せる鍵になっているように感じます。

言い方を変えれば、苦しみが苦しみのまま終わるのではなく、その出来事を通して魂が磨かれたり、新しい出会いや発想が生まれたりする。

だからこそ、波瀾万丈は「幸せの入り口」を潜んだサインでもあるのです。平凡を切望するあまり、思わぬトラブルに対処する気力が萎えてしまうなら、本当にもったいないことですからね。

人生には大小さまざまな困難がつきものですが、それを素直に「ここから何か学べるかもしれない」と受け止めた瞬間、ただの苦労が「成長のプロセス」へと変わります。

ちなみに、ひとりさんが過去に重病を患ったとき、周囲の看護師さんたちに「この病棟で一番明るい患者さん」と言われるような振る舞いをしていたそうです^^

状況は同じでも、心の持ち方ひとつで病室が笑い声の満ちた場になることもあります。その楽しさが、結果として回復を早めたり、心の安定につながったりするのです。

もしあなたも長いこと「ささやかで平凡な幸せ」を望んでいたのであれば、この話をきっかけに、この世に平凡はないからこそ、波瀾万丈の先に待っているドラマを、一度楽しんでみてはいかがでしょうか。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝してます^^

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