斎藤一人さんの教え

俺は宗教家じゃないよ!みんな一人一人が神様なんです【斎藤一人】

斎藤一人さんが語る「神様好き」というスタンスの誤解!!

斎藤一人さんは、過去の講演会で「自分は宗教家じゃないよ」とたびたび口にしていました。

その理由は、ひとりさん自身の「神様」という言葉の使い方が原因で、誤解を招いてしまうことがあるからです。

たとえば、ある日、一人さんの著書が新聞に取り上げられる予定でしたが、急に断られたんだそうです。

なぜかはわかりませんでしたが、「宗教的なニュアンスが強く出てしまう」という懸念があったのでしょう。

世間やメディアには、「神様」という言葉を聞いただけで、宗教的な思想と結びつけてしまう傾向があります。

でも、ここで大事なのは、斎藤一人さんが言う「神様」という存在は、特定の宗教に属する“誰か”ではないということです。

キリスト教の神でもなければ、仏教の仏様でもない。もっと大きく、もっと普遍的な、「この宇宙を創った存在(アメノミナカヌシ様)」——それが、一人さんの考える神様なんですね。

この神様は、人間が勝手に名前をつけたり、教義を作ったりする以前の、純粋なエネルギーのような存在。宗教という枠を超えた、いのちの源のようなものです。

そこから分け御霊として、一人一人の人間に"霊魂"が振り分けられていったという流れになります。つまり、人間は元をたどれば、みんな神様だったわけです。

だからこそ、一人さんはキリスト教でも、仏教でも、神道でも、どれか一つに固執することはありません。

ただ、ここで勘違いしてほしくないのは、決して「宗教が悪い」と言っているわけではないということ。

好きで宗教をやっている人は、それが楽しいのだから、そのまま好きなことを続けていいんだよ♪と、応援しているくらいです。

その上で、一人さんは「私は神様の話をするけれど、宗教家ではない」というスタンスを貫いています。

斎藤一人さんが教える「人間=神様の最高傑作」という真理

斎藤一人さんが大切にしている教えのひとつに、「人はみんな、神様の最高傑作なんだよ」という言葉があります。

このシンプルなメッセージには、ものすごく深い意味が込められています。この「神様の最高傑作」とは、どういうことなのでしょうか。

たとえば、私たちは自分の短所に目がいきがちです。「自分は飽きっぽい」とか、「怒りっぽい」とか、「落ち込みやすい」とか。

でも、一人さんはそれらの性格さえも、「神様があえて与えてくれた才能なんだよ♪」とおっしゃっているんです。

「え? そんなのが才能?」と思う人もいるかもしれません。でも、よくよく考えてみてください。

「飽きっぽい人」は、常に新しいことを求めるエネルギーを持っていますし、「怒りっぽい人」は、正義感が強く、周囲の不正に敏感な人かもしれません。

一人さん自身、自分のことを「すごい」と思っているそうです。これは、自慢でも自己満足でもありません。

「自分はすごいんだ!と思っているからこそ、周りの人のことも“すごい”と心から思える」わけです。

これが、自分のことを「大したことない」「平凡だ」と思っている人は、どこかで人を羨んだり、批判したりしがちです。

一方、「自分って素晴らしい存在なんだ」と思える人は、自然と他人の中にも素晴らしさを見つけることができます。

また、「自分をくだらない人間だと思えば、くだらない生き方になる」「自分を素晴らしいと思えば、素晴らしい人生を送るようになる」と教えてくれました。

斎藤一人さんが私たちに伝えたいのは、「自分をもっと大切にしようよ」「自分はすでにすごいんだよ」という、優しくて力強いメッセージです。

しかも、これは特別な人だけに向けられた話ではありません。お金持ちでなくても、社会的に有名でなくても関係ありません。

「この世に生まれてきたあなた自身が、神様の作品なんだ」という視点を持てるかどうか。それが、人生の質を大きく左右します。

つまり、「神様の最高傑作」であることに、誰ひとり例外はないということです。

斎藤一人さんが説く「オールマイティな正解はない」という真実

斎藤一人さんの教えには、ひとつ大きな特徴があります。それは、「みんなに同じことは教えない」という姿勢です。

なぜかというと、人間は一人一人、違う存在だからです。この人生に、答えという答えは、一つもありません。

たとえば、一人さんは、弟子の純ちゃんには「お金を持っても威張っちゃいけないよ」とアドバイスをし、みっちゃん先生には、「もっとお肉を食べた方がいいよ」と、健康のアドバイスをしたりします。

同じ言葉を使わないのは、性格も、環境も、タイミングもすべてが異なるからです。

その理由は、同じ言葉でも、人によっては励ましになり、別の人にとっては傷になることがあるからです。

よく耳にする「頑張ってね」という一言ですら、ある人は「よし、やってみよう!」と前向きになり、またある人は「これ以上どう頑張ればいいの?」と落ち込んでしまうこともありますよね。

だからこそ斎藤一人さんは、「これが正解だ!」という考え方を押しつけることはありません。「正解は一つじゃない」「その人に合った答えがあるんだよ」と教えてくれます。

そして大切なのは、その違いを見極める目を養うこと。相手の状況や気持ちを感じ取り、言葉を選ぶ力を育てていくことが大切です。

現代社会では、SNSなどで「これが正しい」「これが間違っている」と意見がぶつかり合うことがよくあると思います。

でも実際には、人の数だけ答えがあるのです。ひとりさん流では、「みんな違っているけど、みんな正しい。」ということ。

それで、「幸せの道を歩むには、正しさよりも"楽しさ"を選ぶ必要がある」ということなんです。

斎藤一人さんが貫いている「宗教に縛られない生き方」とは?

斎藤一人さんは、宗教そのものを否定しているわけではありません。

むしろ、「宗教は多くの人の心を支えてきた、大切な文化のひとつ」であると認めています。

けれども、一人さんが問題にしているのは、「宗教に縛られて、自分を小さくしてしまうこと」です。

たとえば、あるとき一人さんは、スリランカが仏教国であるという話をしながら、こんなユニークな例えを出しました。

「もし、自分の好きな女性が仏教を信じているなら、自分もその周波数に合わせてみたらいい。そんなに悪いことを教えてるわけじゃないんだから」と。

これは、宗教を変えなさいという意味ではありません。「自分の固定観念を手放して、もっと柔軟に考えなよ♪」というメッセージだったんです。

つまり、本当に大切なのは、「自分の人生の主役は自分である」という意識です。

どんなに立派な教えがあっても、それに従うあまり、自分らしさを失ってしまっては本末転倒ですからね。

また、一人さんはこう言います。「宗教に負けて、自分が小さくなってはいけないんだよ」と。

さらに、「自分の中に神様がいることに気づけば、どんな宗教とも共存できる」とも語っていました。

これは自分の軸がしっかりしていれば、他者の信仰を尊重しながらでも、自分の道を歩んでいけるという意味です。

宗教が違っても、文化が違っても、そこに“思いやり”と“尊重”があれば、人と調和して生きていける。これが、スピリチュアル(魂)を大切にした生き方といえるでしょう。

斎藤一人さんの魅力は、こういった柔軟さ、しなやかさであり、現代人にとっての生きるヒントだと感じます。

斎藤一人さんが大切にしている「自分の意見を持つ勇気」♪

斎藤一人さんの生き方には、常に「自分の意見を持つ」という強い意志があります。

たとえば、一人さんは、ふと一つのアイデアがひらめき、事業を始めようとしたとき、周囲から「そんなのうまくいくわけがない」と言われたそうです。

でも、誰の言葉にも流されず、「自分には自分のやり方がある」と信じて行動したんですね。

実は、子どものころから「自分には自分の意見がある」と言っていたという一人さん。

その姿勢は、大人になった今でも変わっていません。

もちろん、聞く耳も大切ですが、多くの人が、他人の言葉に聞く耳を持ちすぎて、自分の心の声に聞く耳を持つことを忘れてしまいます。

本来であれば、自分を愛すればこそ、他人のことも愛することができる。だからこそ、「自分の価値観をまずは尊重する」という考え方を持っているんです。

これは、「会社」「学校」「家族」など、さまざまな集団の中で生きる私たちにとって、まさに通用する考え方だと思います。

自分の人生のハンドルは、自分で握る」。その覚悟がある人は、他人を無理に否定したり、支配しようとはしません。

むしろ、自分の意見を持ちながらも、他人の意見も受け止められる。そういう人こそが「成熟した自由人」なのです。

斎藤一人さんの生き方は、自由に生きることの"美しさ"と"責任"を教えてくれます。

人に合わせすぎて自分を失いそうなとき、一人さんの言葉は私たちに、「それで本当に幸せなの?」と問いかけてくれるのです。

ぜひ、もっともっと自分を褒めて、愛して、大切にしてあげてくださいね。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝してます^^

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